7/15-7/18

 人生でもそうそうない機会に遭遇しました。病棟の引っ越しです。病状が良くなったのでお部屋の引っ越し、ではありません。病院全体が新棟に引っ越すのです。ついにこの古い建物を抜けて真新しい病棟へ行きます。すでに隣には立派で綺麗でモダンな建物が完成しています。幸いにも私は歩けるようになっているので看護師さんの付き添いのもと、徒歩で隣の病棟へ向かいます。ここ数日は引っ越しの準備で職員さんはいつも忙しそうでした。患者もどことなく落ち着きません。ですが新棟への期待も大きいです。もうこんな古い病院は嫌だ!

 

 歩いていくといっても、即席の連絡通路ですぐです。外に出た時間はごくわずかでした。初めての建物の中を職員の先導のもと進んでいきます。帰れるのか心配になってきます。案内された病室は最上階の8階でした。今までが4階だったので見える景色が全然違います。最寄りの駅はもちろん、その向こうの知らない街まで一望できます。しかも室内が本当にきれいです。新品の部屋とベッドで一番先に寝るのが私であるという事実が誇らしい。しかも4人部屋に私一人でした。流し台もトイレも貸切です。なんという贅沢でしょう。今回はいろいろ頑張ったので報われたようでした。

 

 ただ、綺麗すぎてなんとなく居心地が悪い気がします。廊下に出るだけで緊張します。もしかしたらあのぼろい病棟も心のどこかでは気に入っていたのかもしれないですね。とはいえそんなことを考えていても仕方ないので新棟をエンジョイしようと思います。

 

 今までの病棟は、誰でも入ることができました。面会をするためにはナースステーションで用紙の記入が必要であるとはいえ、その気になればしれっと潜入できたと思います。ですがこの病棟ではそうもいかないようです。患者にはICカードが貸し出され、病棟入口でかざす必要があります。面会者も同じで、受付で渡されるICカードをかざして入る形になります。インターホンすらないので患者といえども忘れたら締め出されます。大丈夫かこれ。

 

 

7/18

 

 営業日初日、新棟の外来に呼ばれました。いままでは古参顔して外来患者を威圧していた私ですが新棟ともなると私とて新参です。おっかなびっくり、案内図を確認しながら向かいました。診察室の雰囲気もガラッと変わっていて、個室になっています。以前はカーテンの仕切りのみだったので両隣で親知らずをギュルギュル削る音を聞きながらの診察だったわけですが、そこは改善されたようです。とても良いことだとは思いますが歯科の診察室ってどうあれ怖いですよね。これからこの場所で何百何千の抜歯や小手術が行われると考えると怨念の一つも宿りそうなものです。よくよく見れば診察台をはじめとして、多くの設備は旧棟から持ってきたもののようでした。引っ越しの苦労が目に浮かびますが患者の感知するところではないです。ひととおりの診察を終えた後、明日での退院を言い渡されました。宣告がやや急ですが、おおむね予定通りといったところです。良くも悪くも、この生活の終わりが見えてきました。

 

7/14

 本来であれば12日(水)に外す予定だった額固定ですが、骨の状態の関係上金曜日までずれ込みました。平日の午前中は毎日歯科外来に呼ばれるのでその日も外来へと向かいました。入院患者は待ち時間がなくすぐに診察室へと通されます。外来のベンチに座っている人たちを横目にすたすた歩いていくこの瞬間がたまらなく気持ちいいですね。というか楽しみがそれくらいしかないですね。

 

 診察室で傷口の様子を確認した後、ようやく固定のゴムが外されました。ガチガチに括られていた結束が外され、口を開くよう促されます。が、これがものすごく怖い。もう1週間以上口を開いていないのですっかり開け方を忘れてしまったようでした。そうでなくとも術後初めて開くわけですから本当に怖いです。口を開けます。おぉ、なんだか不思議な感覚。しかし先生は容赦なくもっと大きく開けるよう指示してきます。しかし思ったよりも開きません。先生も開き具合を確認するために手でぐいぐい押し広げてきます。痛くはないですが顎が外れるような恐怖があって全力で抵抗しそうになりました。診察の結果どうやら特に問題はないらしく、食事の時だけゴムを外し、歯を磨いたら今度は自分でゴムを装着して固定する、という流れになりました。それにしても顎が固定されていないのが今度は逆に不安に感じるようになってしまいました。人間って不思議ですね。この時の開口は2cmないくらいでした。これはぎりぎり歯ブラシが入る程度です。

 

 その日の昼からは少しは形のあるものが出てくるようになりました。五分粥です。待ちに待った固形物ですが、口を開けて食べるのが怖い。スプーンが口に入らない。噛むのが怖い。噛み合わせの変化に違和感を覚えないくらい、恐怖の方がまさっていました。それでも固形物を食べる喜びはなかなかのものです。味わう余裕などなかったですが、食事が作業ではなくなってくるのを感じていました。

 

 開口練習もしつつ久しぶりに歯の裏側までガッツリ磨いて、今度は自分で固定のゴムを装着していきました。最初はなかなか難しいですが、慣れてくればささっとかけることができるようになります。おやつも買って食べて大丈夫なので、いよいよ入院がイージーモードになってきました。

 

 入院は暇だと思う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。もともとインドア派なので自由を制限されていることに不満は感じないんですね。食事が自動的に出てきて、そのほかの時間は好きなだけ本を読めるこの生活は快適ですらありました。それでも、23度のエアコンで冷えた室内にずっといるとたまには外の空気を吸いたくなります。汚い窓から眺める外の風景がひとつの癒しになっていました。少しだけ窓を開けると湿った夏の風が入ってきます。立川の空気を吸うと大学時代を思い出します。4年間でしたが楽しい思い出ばかりです。私の帰る場所は八王子ではなく群馬なんだと思うと外の景色に疎外感を感じなくもないですが、それでも道路を走る車をぼんやり眺めながら、どこからきてどこへ向かうんだろうなと思いを巡らせるのが楽しい。たまに4時くらいに目が覚めた日に眺める景色も素敵です。なんとも贅沢な、入院中しかできない遊びだと思います。ふと耳を澄ますと蝉の声が聞こえてきました。私の知らないところで、季節が移り変わっていたようでした。

 

7/13

 流動食や飲料を満喫できるようになったとはいえ、いまだに上下の歯は固定されたままです。歯の表面は磨くことができますが裏側は当然磨けません。舌で触ると歯がザラザラしていてさすがに虫歯の心配が出てきます。それもそのはず、私は前回の入院で虫歯を作ったのです。糸で傷口を縫ってあったため、その付近の歯はあまり強く磨かないようにしていたのですがそのせいでがっつり虫歯ができてしまいました。虫歯ができてもここは歯医者ではなく口腔外科。似ているようですが全くの別物です。何もしてくれないので虫歯の管理に関しては自分で注意するしかないんですね。そんな前回の反省もあって、うがいだけは気を付けるようにしていました。

 

 地味に不便だったのが舌を出せない事でした。唇を舐められない。スプーンも舐められない。あくびは噛み殺すしかない。しかしそんな状況も1週間ほど続けば慣れてくるものです。その気になれば言語でのコミュニケーションもできはするのですがそこは完全に諦めてiPhoneのメモ機能で要望だけ伝えていました。

 

 このあたりになってくるとさすがに余裕も出てきて病室の患者さんの様子が見えてきます。私が入っていたのは4人部屋でした。歯科の入院患者は私だけらしく、他の患者は泌尿器の人が多いようでした。うち2人は糖尿病関連らしく、1日3回くらい血糖値の測定をしていました。指に針を刺して出血させて測るらしく、カーテン越しとはいえ私まで恐ろしくなってくるようです。

 

 糖尿病と関連するのかはわかりませんが、みなさん体格がとてもよかったです。そのせいか暑がりで、エアコンの設定温度が常時とても低く設定されていました。私がこっそり28度くらいに直しても少し目を離した隙に23度くらいまですぐに下げられてしまうのです。まじで今すぐ出ていけと思いました。犯人は分かっていて、私の向かい側の人でした。その人はなかなか曲者で、いつも食事が終わると満足そうなゲップと水っぽい屁をするのです。まじで今すぐ出ていけと思いました。あとは独り言が異常に多い人もいて、今回の病室は本当に治安が悪かったです。前回は6人部屋でしたがその時はびっくりするくらいみんな静かだったので落差に驚きました。あまりそこらへんに腹を立てても仕方ないのでイヤホンを突っ込んでノイズキャンセル全開で過ごすしかありません。

 

 ここらへんからは持ってきた本を読むことができるようになってきました。そこで、今回持ち込んだ電子書籍が活躍します。思うに、入院生活と電子書籍の相性は抜群なのです。まず第一に寝転がったまま本を読むことができる。第二に本を何冊詰めても荷物が増えない。第三に手持ちの本が尽きてもネットがつながってさえいればワンクリックで買い足せる。まさに入院のお供であるといえます。

 

 本棚を持ち歩けるというよりは店ごとポケットにねじ込めるといった方が正確でしょう。もちろん紙の本もいいとは思いますが利便性ありきで考えるならどうしても電子書籍に軍配が上がると思います。作家さんがサインを書いてくれるならまた話は別ですが。そんなこんなでいろいろ買い足していたらクレジットカードの請求とスマホの通信料が大変なことになっていましたが書を読む快楽には勝てないので仕方ないです。データは溜めこんでも床をぶち抜かないのですから。

 

7/8-7/10

 術後3日目になりました。今日は傷口につながっているドレーンが抜去されます。これでようやく唇を閉じることができるようになります。見ると口角が傷だらけで青痣だらけになっています。私は口が小さいので手術の際に目いっぱい押し広げていたらしく、その影響で唇もひどいありさまになっていました。軟膏を塗っていましたが唇の裂け目が本当に痛かったです。残るチューブは経鼻胃管と点滴の2種類。開放感はありますがこの経鼻胃管が最も厄介なのです。

 

 胃管で喉が痛くて唾液を飲み込むのにも苦労しました。辛いのが睡眠時で、眠りに入る寸前に唾を飲み込もうとすると痛みで目が覚め、反動でえづいてしまうということを繰り返してしまいます。本当に辛ければ細くて柔らかいチューブに変えてもいいと言われましたが、いずれは取れるものだしまた入れるのも気持ち悪いだろうということで我慢していました。意地もあります。もう顎の固定にも慣れてきたので残る課題はこの経鼻胃管だけでした。言語による看護師さんとのコミュニケーションは完全に諦めて筆談をしていました。

 

 

7/10

 

 術後5日目。今日は経鼻胃管が抜去される日です。長かったです。今日からシャワーも可能になるので午前中の外来を見越して午後一番にシャワーの予約を取っておきました。鼻から食べる最後の朝ごはんに感慨があるかと言われればそんなことは全くなく、もはや用済みになった容器をぶっ壊してやりたいくらいの心持ちでした。

 

 午前10時ごろ、外来に呼ばれました。ここまでくるとだんだん周りの患者を見るくらいの余裕が出てきます。歯科外来のソファーに座っている人の中でパジャマで点滴を引きずり、鼻からチューブが飛び出ているのは勿論私だけです。ここの歯科にかかっている人のほとんどは親知らずの抜歯だと思います。何せ年間900本を抜いているそうで、もはや名産地です。これから抜歯を控えている外来患者をさらに動揺させるべく、ふらふら歩きながら真っ青な顔で点滴を引きずってみせます。入院患者としての古参オーラを漂わせながら外来患者を威圧するのが入院生活の数少ない楽しみなのですから。

 

 診察室に呼ばれ、いよいよ経鼻胃管が外れます。不安はありましたが一瞬で引き抜いてくれたのでそんなには苦しくなかったです。鼻のあたりに胃管にくっついてきた胃液っぽい匂いがたかっているのが少し不快でした。でもそんなことも気にならないくらいに開放感が凄まじかったです。よく耐えた私。万能感すらあります。大きな試練を超えました。昼からは実に1週間ぶりに口から食事ができます。残りのチューブは点滴のみとなりました。

 

 食事とはいえ顎の固定はまだ取れないので歯の隙間から吸える流動食になります。重湯*1と味噌汁と、先ほどまで胃に流していた紙パック飲料が基本的なレシピになります。重湯って大嫌いだったんですよね。何の味もしないし量はあるし、早く全粥を出してくれってずっと思っていました。でも今はその重湯がたまらなく美味しい。あぁ、味噌がうまい、舌が喜んでいる。口から食べるって素晴らしい。ぐびぐび吸って完食し、すっかり水腹になっていました。

 

 午後にはシャワーを浴びました。左腕に点滴が入っているのでなるべく片手で洗います。点滴部分には濡れないよう、カバーを付けてもらう必要があります。別に痛まないので両手でガシガシ洗っても大丈夫といえば大丈夫なのですが、針が刺さっている腕に力を籠めたいとは思わないんですよね。1週間振りのシャワーなのでシャンプーが全く泡立ちません。恐ろしい。身体をこすれば垢がポロポロ出てきます。恐ろしい。口元はすっかり髭面です。ここで髭を剃る際にかなりの注意を必要とします。実はまだ顎の感覚が戻っていないので、カミソリで顎を切ってしまう人が多いそうです。神経に近い部分の手術をしたのでしばらくは顎の痺れが引かないのです。電動の髭剃りを推奨されましたが自宅に忘れてきてしまったので意を決してカミソリを顎に当てました。かなり気持ち悪い感覚です。というか正確には感覚があまりなく、不安です。鏡でしっかり確認しつつ、血みどろにならないよう時間をかけて剃っていきました。とはいえシャワーは1人30分までという囚人じみたスケジュールがあるのであまり悠長に構えてはいられません。髭も垢もまだ残っていますが続きは明日のシャワーにすることにしてそそくさと出ていきました。

 

 シャワーから出た後は辛気臭いパジャマを脱ぎ捨ててジャージに着替えました。ジャージは素晴らしいです。普段着にも寝間着にもスポーツにも使えます。なにより気分が高まります。入院着を着ているだけで何となく気分が下がるものなので、こんなものを着る必要はもうないでしょう。経鼻胃管が外れただけでこの万能感です。やはりチューブがひとつ、またひとつと取れていくことにより患者は元気になっていくのです。

 

*1:重湯(おもゆ)…ごくうすい粥の上澄み液。消化がよいため病人や乳児の流動食とする。白米を数倍の水でよく煮たうえで、漉して飯粒を除いたもの。といえば聞こえは良いが米のとぎ汁を飲まされると言った方がイメージに近い。

7/6

 カーテン越しでもわかるくらいに、少しずつ外が白んできました。夜を超えたようです。痛みも不快感も消えないですが最初の山場は超えたようでした。朝になり、検診を終えると心電図と酸素マスクとパルスオキシメーターが外れます。これだけでも何となくすっきりしたような気もします。次にトイレまでの歩行が可能であれば尿道カテーテルが外れます。が、最初のチャレンジには失敗しました。久々に起きあがったことで貧血になったのかと思われがちですがそうではありませんでした。動いたことで鼻のチューブが喉の思わぬところに当たり、えづいてしまったのです。加えて、ストッキングによる足裏の痣が痛くて歩くどころではありませんでした。実際看護師さんも貧血だと思ったようですが、口が閉じられているのでそんな複雑な事情を説明する気にもなれません。しかも唇を閉じることができないので涎をだらだら垂らしながら歩行訓練をしていました。結局午前中に尿カテが外れることはありませんでした。

 

 今日の午前中は、術後の経過を見るために外来とレントゲンに行く必要があります。当然歩けるわけがないので車椅子で連行されました。顔にサポーターが巻かれ、いろんなところにチューブが刺さり、顎が固定されている患者が車椅子で歯科外来に運ばれてきたのですから、他の患者さんはたいそうびっくりしたと思います。しかしそんなことなど一切気にならず、喉のチューブのポジショニングを調整することで手一杯でした。

 

 午後になりようやく状態や体調が落ち着いてきて、尿カテが外されました。外される時のなんとも言えない嫌な感じはありましたがそれよりも開放感の方が上回っています。残るチューブは3種類。まだまだ戦いは続きます。

 

 ここで第二の試練が待っています。尿カテを外したからには自らの力で放尿するわけですがここが問題となります。外してしばらくは放尿の際に尋常じゃなく痛みます。本当に痛いんです。前回は手術したばかりの歯を噛み締めながら尿を放っていたのでそのトラウマが蘇ります。今回も意を決してトイレに向かいました。

 

 結論から言えば、前回ほどは痛くなかったです。少し拍子抜けするほどでした。耐性ができたのか、上手く挿れてくれたのかはわからないですが、今回は歯を食いしばる必要はないようでした。

 

 尿カテは大嫌いですが、これはこれでなくてはならないものなのだろうと思います。高校生のころに受けた手術では尿カテは挿されず、尿瓶でした。皆さんは尿瓶を使ったことがあるでしょうか。想像してみてください。ベッドの上で寝転がったまま瓶に向けて放尿するのです。これには練習が必要という話も聞いたことがあります。そうなんです、そもそも人間の身体はベッドの上で寝転がったまま尿を放てるようにはできていないのです。理性も止めにかかります。実際私も最初は苦労しました。具体的な手順としてはこうです。尿意を催す→ナースコールを押す→尿瓶をくれと頼む→受け取る→横になりセットする→ここはトイレなので尿を放っても大丈夫だと暗示をかける→瞑想する→やっとひねり出せるといった具合です。その点尿カテは優秀です。膀胱までつながっているので自動で垂れ流してくれます。でもどっちか選べるなら尿瓶を選びますね。その際は事前に布団の上で尿を放つ練習をすると思います。今回は尿の話ばかりですね。

 

 さて、次なる試練が食事です。当然、口から食べることはできません。そのために鼻にチューブが刺さっています。そうです。鼻から注入するのです。サイコパスじみているとは思いませんか。しかも自分でやるのです。自分で自分の胃に流動食を流し込むのです。最初にこれを考えた人は本当にアレだと思います。それでも、点滴から栄養を流すより胃から摂取する方が回復が早いそうです。胃に感覚はないとはいえ、気分が悪くなりそうでした。喉元の感覚は鋭敏なので、喉元のチューブの中をぬるい液体が通っていくのが分かり、それがなんだか無性に気持ち悪いのです。さらに嫌なのは、流動食に味がついていることです。コーヒー味とかバナナ味の流動食を直接胃に放り込むのです。本当に嫌がらせかと思いました。味わいたい、飲みたい…そんな願望をあざ笑うかのように味覚のない胃に飲料を垂らしていきます。食事が完全なる作業です。しかも嫌な作業です。同室の患者の味噌汁の香りを嗅ぎながら味付きの流動食を胃に入れる一日三回のこの儀式が何より苦行でした。

 

7/5(後)

 目が覚めました。意識はぼんやりしていましたが、やっと終わったようだとわかりました。ここで呼名応答や掌握、足趾動の確認をしながら意識の回復を判断するそうです。そう言われてみれば確かに手を握ってみてとか足を動かしてみてとか言われたような記憶がありますがほとんど覚えていません。意識の確認が取れたら手術室から運び出されます。枕元で母親が泣いていた記憶があります。ようやく手術が終わりました。ここまでは先生方が頑張ったので、次は私が頑張る番になります。

 

 目が覚めてくるとだんだん自分の置かれている状況が分かってきます。噛み合わせが変わったようですがまだ顎の感覚が鈍く、舌で触った感じでは今までとの違いは感じられません。上下の歯は固定されていて、少しも動かすことができません。口の中からはチューブが2本出ています。直接傷口に入っているようです。ドレーン*1といってこれが血を吸っているらしく、おかげで唾液に血が混ざることはほとんどありませんでした。左の鼻の穴からもチューブか出ていて、これは胃まで入っています。今後1週間以上は口が開かないのでここから栄養を摂取するために挿入されているらしく、確かに唾を飲むと喉元にチューブの感覚があります。口には酸素マスクがかぶせられています。酸素のおかげで呼吸が楽になるのでしょう。効果はあったと思いますが恩恵を実感することはなかったです。胸には心電図が張り付いていて、枕元の機械が心音を刻んでいました。右手の指にはパルスオキシメーターがついていて、血中の酸素の状態を見てくれているそうです。下半身には尿道カテーテルが入っていました。直接膀胱まで入っているのでトイレに行く必要がありません。それでも心なしか尿意を感じますが気のせいのはずです。点滴も刺さっているので体中チューブまみれです。

 

 手術室を出たのは18時くらいのことだったそうです。ここから最初の夜を迎えますがここが山場です。全然眠くならない、痛みは引かない、身体は思うように動かない。痛みは座薬で何とかなりましたが息苦しさはどうしても改善できません。それもそのはず、口は固定され、いたるところにチューブがくっついているわけですから。高校生の時には麻酔の覚醒後に寝返りをして吐いた経験があるので絶対に寝返りはしないようにしていました。ここで地味につらいのが血栓防止用のストッキングです。きついのでだんだん痛くなってきますが、口が開かないのでそれを伝えることができません。後日外してみたら痣と水膨れだらけになっていました。音楽を聴いて無理やり心を宥めつつ、最初の夜は過ぎていきました。念のためにナースコールを握りしめていましたが意思の疎通ができない以上、無意味だったかもしれません。

 

*1:ドレーン…体内に貯留した消化液、膿、血液や浸出液などを体外に排出するためのチューブ。創傷部に直接挿入することで創傷部の浸出液や血液がドレーンの中を通って、排液バッグの中に貯留される。

7/5(前)

 病棟の朝は早い。6時には看護師さんがせわしなく動き回るので起きてしまいます。気分はあまりよくないですが、覚悟を決めようが決めまいがその時はやってくるので一周回ってどうでもよくなってきました。そのうち朝ごはんになりますが、私は禁食。カーテン一枚挟んだ隣の患者さんの美味しそうな味噌汁のにおいを嗅ぎながら瞑想します。

 

 しばらくすると歯科の先生が点滴を刺しにやってきます。外来の先生がわざわざベッドまで来てくれるのですから考えようによっては贅沢といえば贅沢なのかもしれません。ここで刺された針は退院直前まで抜けません。入院生活を共にする仲間です。太めの丈夫なモノを刺すので先生の実力が出るようです。幸いなことに今回もうまく刺してくれたようで、腕を動かしても痛むことはありませんでした。

 

 その後、10時になると水も禁止になります。ここでいよいよ手術が近づいてきたので、準備としてキツめのストッキングを穿かされます。これは血栓予防だそうで、同じ姿勢が続く全身麻酔下でエコノミークラス症候群を防ぐことを目的としているそうです。後々このストッキングに苦しめられるのですがこれも後述します。あとは13時まで瞑想します。ここで全身麻酔による手術に必要な付添人として母親が来ました。

 

 気を紛らわせるために耳に差したイヤホンからは、スピッツの夜を駆けるが流れていました。これは高校生の時の手術で聞いた曲でした。その時入院した病院は少し特殊で、端的に言えば小児のための病院でした。そこに16そこらの青年が入院したのですからなかなかイレギュラーだったのではと思います。そこでは先生の謎の計らいで、手術室で麻酔によって眠るまでの間、持ち込んだCDを流していいということになったのです。そこでかけたのがスピッツの三日月ロック、その一曲目の夜を駆けるでした。とはいえサビまでいかずに眠りに落ちた記憶があります(正確にはサビまで聴けた記憶がないです)。そんなこともあり、あのピアノのイントロを聴くだけでいろんなことを思い出します。手術のたびに願掛け感覚で聴き込んでいるのでけっこうな量の記憶が積み重なっています。

 

 定刻の13時になり、看護師から声がかかりました。今現在に関しては健康体なので手術室までは徒歩で向かいます。これがまた精神的につらい。何が楽しくて死地に自ら赴かなくてはならないのか。いっそストレッチャーのまま連行して頂きたい。昨日の夜から禁食なので何なら体調が悪い。

 

 手術室の前まで来ました。付添人として来ている母親とはここでお別れです。手術室の前、ドアが開きました。点滴台が重い。頑張ってね、と言われました。うん、としか返せませんでした。振り返ったらいろいろ揺らぎそうだったので、前だけ見て歩き出します。だからこの時母親がどんな顔をしていたか、知ることはありませんでした。

 

 13時30分、入室しました。天井から下がる手術用の大きな照明が、不吉な花のように咲いていました。ここで本人確認のために「自分のフルネーム」と「これから受ける手術の名前」を言うことになります。確認が済んだら靴を脱いで手術台に上り、上半身の服を脱いで横になります。あれよあれよという間に心電図、パルスオキシメーター*1、血圧計などなど、多くの装置が装着されます。次に麻酔が開始されます。まずはマスクからの吸入による麻酔です。が、これは効いている実感はあまりないです。その後、点滴から麻酔が入ります。ここからは早いです。すぐに眠くなっていきます。麻酔が冷たい、みたいな歌詞を耳にしたことはあるでしょうか。これは実際その通りで、血管から冷たいものが流れてくるような感覚があります。身体の端から眠っていくように、すぐに意識が落ちました。結局私の覚悟は決まらないまま、オペは開始されました。

 

*1:パルスオキシメーター…皮膚を通して動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定するための装置。赤い光の出る装置をクリップのように指にはさむことで測定する。