7/5(前)

 病棟の朝は早い。6時には看護師さんがせわしなく動き回るので起きてしまいます。気分はあまりよくないですが、覚悟を決めようが決めまいがその時はやってくるので一周回ってどうでもよくなってきました。そのうち朝ごはんになりますが、私は禁食。カーテン一枚挟んだ隣の患者さんの美味しそうな味噌汁のにおいを嗅ぎながら瞑想します。

 

 しばらくすると歯科の先生が点滴を刺しにやってきます。外来の先生がわざわざベッドまで来てくれるのですから考えようによっては贅沢といえば贅沢なのかもしれません。ここで刺された針は退院直前まで抜けません。入院生活を共にする仲間です。太めの丈夫なモノを刺すので先生の実力が出るようです。幸いなことに今回もうまく刺してくれたようで、腕を動かしても痛むことはありませんでした。

 

 その後、10時になると水も禁止になります。ここでいよいよ手術が近づいてきたので、準備としてキツめのストッキングを穿かされます。これは血栓予防だそうで、同じ姿勢が続く全身麻酔下でエコノミークラス症候群を防ぐことを目的としているそうです。後々このストッキングに苦しめられるのですがこれも後述します。あとは13時まで瞑想します。ここで全身麻酔による手術に必要な付添人として母親が来ました。

 

 気を紛らわせるために耳に差したイヤホンからは、スピッツの夜を駆けるが流れていました。これは高校生の時の手術で聞いた曲でした。その時入院した病院は少し特殊で、端的に言えば小児のための病院でした。そこに16そこらの青年が入院したのですからなかなかイレギュラーだったのではと思います。そこでは先生の謎の計らいで、手術室で麻酔によって眠るまでの間、持ち込んだCDを流していいということになったのです。そこでかけたのがスピッツの三日月ロック、その一曲目の夜を駆けるでした。とはいえサビまでいかずに眠りに落ちた記憶があります(正確にはサビまで聴けた記憶がないです)。そんなこともあり、あのピアノのイントロを聴くだけでいろんなことを思い出します。手術のたびに願掛け感覚で聴き込んでいるのでけっこうな量の記憶が積み重なっています。

 

 定刻の13時になり、看護師から声がかかりました。今現在に関しては健康体なので手術室までは徒歩で向かいます。これがまた精神的につらい。何が楽しくて死地に自ら赴かなくてはならないのか。いっそストレッチャーのまま連行して頂きたい。昨日の夜から禁食なので何なら体調が悪い。

 

 手術室の前まで来ました。付添人として来ている母親とはここでお別れです。手術室の前、ドアが開きました。点滴台が重い。頑張ってね、と言われました。うん、としか返せませんでした。振り返ったらいろいろ揺らぎそうだったので、前だけ見て歩き出します。だからこの時母親がどんな顔をしていたか、知ることはありませんでした。

 

 13時30分、入室しました。天井から下がる手術用の大きな照明が、不吉な花のように咲いていました。ここで本人確認のために「自分のフルネーム」と「これから受ける手術の名前」を言うことになります。確認が済んだら靴を脱いで手術台に上り、上半身の服を脱いで横になります。あれよあれよという間に心電図、パルスオキシメーター*1、血圧計などなど、多くの装置が装着されます。次に麻酔が開始されます。まずはマスクからの吸入による麻酔です。が、これは効いている実感はあまりないです。その後、点滴から麻酔が入ります。ここからは早いです。すぐに眠くなっていきます。麻酔が冷たい、みたいな歌詞を耳にしたことはあるでしょうか。これは実際その通りで、血管から冷たいものが流れてくるような感覚があります。身体の端から眠っていくように、すぐに意識が落ちました。結局私の覚悟は決まらないまま、オペは開始されました。

 

*1:パルスオキシメーター…皮膚を通して動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定するための装置。赤い光の出る装置をクリップのように指にはさむことで測定する。