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 高崎線新町駅を出発してから3時間弱、私は西国立駅の改札を出ました。地元駅を濡らしていた雨はこちらでは降っていないようでした。手には大きなキャリーケースとハンドバッグ。小旅行でもできそうなくらいに詰め込んだ荷物の用途は、しかしそんな楽しい内容では勿論なく、入院セットがぎっちり入っています。目的地である立川病院までは徒歩で3分ほどですが、足取りの重さったらない。前回この立川病院に入院したのが1年半ほど前のことでしたが懐かしさなど少しもなく、また来てしまった感の方が強いです。今回の日程も前回とほとんど変わらず、午前中に入院し、翌日手術、2週間で退院といった流れになります。

 

 久々に足を踏み入れた入院病棟は、やはりどこも変わっていませんでした。相変わらず年季の入った院内に気が滅入ります。継ぎ接ぎタイルの床と曇った窓ガラスにため息しか出ない。これから先どうなるんだろう、24時間後は?48時後は?などと思案していると本当に胃から何か出そうでとてもつらい。

 

 ナースステーションでしばらく待ったのち、案内された病室は4人部屋の廊下側でした。前回は6人部屋のど真ん中だったので少しラッキーかもしれません。が、きったない壁面が近いのはいかんともしがたい。ベッドと同じ高さに一直線に傷がついているところにそこはかとない歴史を感じる。ですがそんなことを考えていても仕方ないのでささっと荷物を広げ、備え付けの棚に自分の空間を展開していきます。服装も入院着に着替えます。今現在は完全に健康体ですが、パジャマに着替えるだけで一気に病人感が出てきて心なしか背中が曲がるんですけどわかりますかね。身体がもっと重くなってきた気がします。

 

 初日といえど、やることはそれなりにあります。何しろ明日が手術な訳ですから、最終確認や説明があります。いろんな検査は事前に済ませているので今日は本当に説明だけといった感じです。まずは歯科口腔外科外来に呼ばれて主治医の先生と話をします。とはいえいまさら聞きたいことなど何もなく、むしろ怖いので何も聞きたくないくらいです。手術は翌13時になることなどを確認したりしました。次に麻酔科に行き全身麻酔の説明を聞いたうえで同意をします。麻酔科といえば院内でもエリートのイメージがあるんですけど実際にはどうなんでしょうか。先入観ですが何となく色眼鏡で見てしまいます。気管にチューブを入れるとかなんとか、気分の悪くなりそうな説明を話半分で聞きながら(貧血になると同意の署名ができなくなるので)サインをします。

 

 次に、入浴です。全身麻酔の前日には身体を清めなくてはいけないそうです。死地に赴くようで何となく嫌ですが無心に身体を洗います。シャワールームもやはり変わっていませんでした。シャワーの水量の調節が難しいところも、脱衣所の床が滑りやすい(割と致命的なのでは…)ところもそのままでした。

 

 そのあとは夕食になります。実はまともな食事をとれるのは今後2週間でこれが最後になります。じゃあ何をどうやって食べることになるのか、それは後述します。最後になるからと言って噛み締めたくなるような食事ではないですが、味わって食べます。さらに言うなら現在の噛み合わせで食べるのは人生でこれが最後になります。術後はどんな噛み合わせでご飯が食べられるのか…そんなことに思いを馳せながら味の薄い入院食を食べました。

 

 夜9時以降は翌日の全身麻酔に備えて禁食となる*1ので心残りのないよう、最後にヨーグルトなどをつまんだりします。ここからは水もしくは経口補水液のみ。いよいよ近づいてきたなといった感じがしてきますね。消灯は10時ですが寝れるはずもなく、モヤモヤしてしまいます。どうせ今寝れなくても麻酔で嫌というほど寝れるし…などと投げやりに考えつつ最初の夜は更けていきました。

 

*1:全身麻酔中は胃や腸にも麻酔がかかるので消化活動も止まる。そのため嘔吐による肺炎、窒息を予防する必要があり、食事は禁止される。

はじめに

 左側唇顎口蓋裂閉鎖手術の瘢痕により上顎骨の成長が劣成長で上顎骨に対して下顎骨が前方に位置する骨格性の下顎前突症、これが私の症状です。歯槽性の問題点としては、上下顎骨に対して歯が大きすぎることによる叢生*1、前歯部の反対咬合、上顎歯列弓幅の狭小。顔貌は側貌において下顎の突出感が認められます。つまり反対咬合と叢生をともなう上顎劣成長による骨格性の下顎前突症ということです。

 

 治療の流れとしては、上下の歯を二本ずつ抜歯しスペースを作ったうえで全体に歯科矯正の装置とワイヤーをセットして歯を動かし始めました。その後、頃合いを見て全身麻酔による外科手術である顎裂部骨移植手術を行いました。口唇口蓋裂の部分に腸骨または顎の骨を移植する手術です。術後は移植した骨の状態を見ながらワイヤーを調節し歯並びを整えていきました。形になってきたので次は噛み合わせを改善するために二度目の外科手術として下顎矢状分割術を行いました。全身麻酔下で口の中に切開を加え、両側の下顎骨を切離分割し、上下の歯が正常に噛み合うよう後方に移動する手術です。その後は歯の角度を調整しながら歯科矯正を進めていき、最終的に装置を外して保定するといった流れになるそうです。工程が多く大変な道のりではありますがそれなりに症例も多く、確立された流れであるようです。

 

 歯科矯正は、通常であれば自由診療になるため、保険適用外で自己負担となります。ですが私の場合、外科手術を必要とする外科矯正なので健康保険が適用されます。また、口唇口蓋裂厚生労働大臣が定める先天異常の疾患に該当するので厚生医療*2保険診療ができます。入院をともなう外科手術の際には限度額適用も同時に使えるため、治療費や入院費が膨大になることはほとんどありませんでした。

 

 先日、職場で休みをもらって2週間の入院で下顎矢状分割術を行い、下顎を下げて噛み合わせを調整しました。物心ついてからの手術としては3回目となります。1度目は高校1年生の時の咽頭弁形成術。幼少のころの口蓋裂の初回手術によって十分な鼻咽腔閉鎖機能*3が獲得されず、言語訓練でも構音機能が改善されなかったために行われました。のどの後ろ側の壁を少し剥がして、咽頭弁と呼ばれる弁を鼻の奥と喉の間に作ることにより鼻から口への空気の通り道を狭め、鼻咽腔閉鎖機能を補助することを目的とする手術です。発音時に鼻から呼気が抜ける症状の改善を見込んでいます。2度目は大学4年生の時の顎裂部骨移植手術。稀に移植骨が定着せず再手術になる症例もあるそうですが、私の場合は1回の手術で定着しました。3度目となる今回が下顎矢状分割術です。今までの手術の中では最も大がかりで、重い内容でした。人生の中でもそれなりに大きなイベントだったので、備忘録としてここに今回の顛末を書いていきます。そんなに酷で凄惨な内容では決してないですが、痛い話が苦手な人は少し注意してください。私は痛い話が苦手なので読みません。

 

*1:叢生(そうせい)…顎のスペースが足りない、もしくは歯が大きいために、歯が重なって生えている状態。反対咬合をはじめとした不正咬合を伴うことがよくある。

*2:厚生医療…身体障害者手帳の交付を受けた18歳以上の人のなかで、その障害を除去・軽減する手術等の治療の実施により確実に効果が期待できる者に適用され、1割負担で治療を受けることができる制度。

*3:咽腔閉鎖機能…軟口蓋が動くことによって口と鼻の間に壁を作る機能。言葉を話す時には、この機能によって言葉が鼻に抜けないようになり、正しい発音で言葉を話すことができる。また、飲食時にもこの機能によって、口の中の物を飲み込む際、食べ物が鼻のほうに漏れないようになる。つまり、咽腔閉鎖機能が不完全だと言葉が鼻から抜けるうえに飲んだ牛乳が鼻から出る。