おわりに

「今回の手術大変だけど、メンタル強い?」

 梅雨時にしては良く晴れた6月中旬のこと、あっけらかんとした様子で語ったのは私の主治医であった。無論、確実に終わったと思った。当然である。大型犬だって怖いのにどうやって手術を乗り越えろというのだろう。経験あるから大丈夫でしょう、というのは理由にならない。何度やったって怖いものは怖いし嫌なものは嫌である。そもそも、今回の手術は噛み合わせの改善を目的としている。ということは最悪やらなくても死ぬような病気ではない。だからやっぱりやめます、というのができない。できない。なぜか。それは外科矯正に深く関係している。前書きでも述べたが私は保険診療で歯科矯正を行っている。それはひとえに外科手術が必要となる治療だからである。そのため外科手術を取り下げた場合、治療開始時からの治療費用を保険組合に返金することになる。つまりそれまでの治療費を自費の設定で支払うことになる。10万や20万ではきかない、100万円単位の請求が一気にのしかかるのだ。そう、初めて矯正歯科で保険証を提示した日からもう私の行く末は決まっていた。メンタルが強かろうが弱かろうが、泣こうが喚こうが、好むと好まざるとに関わらず私に手術から逃れるすべは一切ない。

 

 そんな脅し文句もあって死ぬほど辛いのだろうと予想して臨んだ手術であったが、結果的には死ぬほどではなかった。今回の内容としては顎の両側を骨折させたわけだが、痛みならどうとでもなる。痛ければ座薬を入れてもらえばいいからだ。実際、痛みを我慢する必要はないと言われていたので術後さっそく看護師さんに座薬を入れてもらう運びとなった。字面だけ見ると素敵な印象を持つかもしれないがそこまでときめくものでは決してない。痛みの問題よりも厄介なのは息苦しさの方である。顎が完全に固定されているうえにチューブがそこら中からびろびろ飛び出ているのだから、当然気持ち悪さがそれなりにある。しかしチューブは日を追うごとに取れていくのでそこをモチベに無心で耐えるのがいいだろう。管さえ無くなってしまえばあとはのんびりと療養できるのだから。

 

 

 さて、今回の入院は病棟の引っ越しとぶつかる形になった。以前からぼろい病棟だなとは思っていたものの、まさか全面建て替えをするとは思っていなかったしそれが私の入院中に敢行されるあたり、運がいいのか悪いのかわからない。引っ越しの様子はある種異様だった。歩ける患者は周りをスタッフに囲まれながら連行され、歩けない患者は車椅子で運ばれていた。人によってはストレッチャーも使用していたかもしれない。無論、患者の荷物は全てスタッフが運ぶ形であった。患者の移送は引っ越し日の午前中には済んだらしく、たったの数時間で患者の消えた旧病棟はメアリーセレスト号すら連想させる。そのような経緯もあって、旧病棟の最後を見届け、新病棟の床を最初に踏みしめたという点でも今回の入院は思い出深い。引っ越しに関してはもちろん楽しい思い出ばかりではなく、体制が整っていない中での不便を強いられたこともそれなりに多かったがそこは思い出補正で耐えたい。

 

 

 いい歯のコンクール、というものが私の通っていた小学校では毎年開催されていた。正確な審査内容はとうに忘れてしまったが、要は良い歯を持っているか、歯科検診の実施と併せて競うものであった気がする。私はそれが大嫌いであったことは言うまでもない。虫歯は完全に本人(と親の指導)が原因であるとはいえ、歯並びに関しては遺伝子に拠るところも大きい。つまり私はいい歯のコンクールを、もって産まれた遺伝子の優秀さを競う大会として認識していた。とはいえ遺伝子の良し悪しがカーストを決めることもある種事実なのでこのコンクールにも社会の縮図としての真理はあったのかもしれない。というかこの期に及んでまだそんなことを覚えているのだから自分の執念深さに引く。

 

 よしんば歯並びが死因にならないとしても、口を開けて話す以上、他人からの印象を気にしてしまうものである。歯科矯正に関して、やろうか迷っている人は多くいるかと思うが、正直あまりお勧めはできない気がする。手間とお金と時間がかかるうえにそれなりに痛い。しかも歯科矯正をするには抜歯をすることが多い。老後まで健康な歯を…というのが究極の目標であるにも関わらず、手持ちの歯が4本減るというビハインドを背負わされるのだ。なので、迷うくらいならやらない方がいいのかもしれない。

 

 

 常人の歯並びを手に入れることを最大限綱領として長く続けてきた治療も、ようやくゴールが見えてきた。実は、全部が上手くいっていて私が甲斐性なしでなければ、大学1年の頃にはすべての治療が終わっていたことになる。最初に通院した矯正歯科の方針が経過観察であったり転院した先の矯正歯科の院長がいつも不機嫌な爺さんだったので即転院したりなど、なかなかスムーズには進まなかった。それでも私が爺さんの態度を我慢したり、もしくはもっと真剣に歯科を探していればこんな年齢になってまで歯科矯正をし続けることにはならなかったのだが、そこは巡り合わせ的な部分もあるので後悔しても仕方がない。完璧な歯並びを目指して、私の通院はもう少し続いていく。いや、でも矯正が終わってしまったら東京に遊びに行く口実がなくなってしまうのは案外寂しいのかもしれない。