あとがき

「今回の手術、楽だけど結構大変かもね」

 冬も佳境に入った2月上旬のこと、あっけらかんとした様子で語ったのは例によって私の主治医であった。哲学か?と思ったのは言うに及ばない。つまりは、全身麻酔をするほどの規模ではないけれど普通の症例よりは顎を多めに留めているので少し手間がかかるということや、意識がある状態で骨をいじられるのは気分的にもなかなか気持ちのいいものではないですよ、と言いたかったようだ。そもそも前回の退院時に聞かされていた内容としては、次は今回の手術とは違って全然楽だから気負わなくていいよぉみたいな話だったはずなのに直前になってハシゴを外さないでいただきたい。大体そんなに大変なら全身麻酔にしてくれとも言いたかったが、全身麻酔には全身麻酔なりの大変さがあるのもまた事実。例えばまず入院期間が延びる。前日の絶食も含めて患者側の準備もそれなりに大がかりになるからだろう。次に身体的な負担が大きくなる。全身麻酔から覚めた後はしばらく動けない。下手に寝返りをして吐いたこともあるので、自分は眠るだけとはいえ身体へのダメージは大きいのだと思う。最後に、尿カテを挿される。これが一番きついのではと思う。考えてもみてほしい。尿道から管を刺して膀胱まで通すのだ。これが地獄でなくて一体何なのだろう。抜くときも痛いし抜いた後も痛いし…。そんなわけで、顎変形症の術後プレート除去に関しては全身麻酔をするほどでもないので部分麻酔で行われているらしい。プロがそう判断するのだからきっと正しいと信じて、私はただオペを待った。

 

 顎変形症の術後プレート除去は行われないケースもあるらしい。別に取らなくても体に深刻な害が出る訳でもないから、病院によっては取らないそうだ。だが私の通っている病院の方針では、金属アレルギーのリスクなども考慮して、不要なものは取ろうということになっているらしい。確かに下顎の奥のあたりに違和感があったのは事実だった。であれば、前向きな手術だと信じて臨むほかない。

 

 結果的には、確かにギリギリ部分麻酔で許せるかな、という内容ではあったように思う。ゴリゴリ削ったりぐいぐい引っ張られたり、切開しているのが感じられたりと辛い部分もあったが、思ったよりは短時間で済んだので耐えられた。終わった数時間後には粥を頬張っていたから、やはり部分麻酔で正解だったような気がする。

 

 

 

 

 入院だの手術だのというものは基本的には嫌なものだ。であればこそ、多少荷物が多くなってでも、気分のアガるものを持ち込むのがいいんだと思う。普段着れないようなジャージを着てみるとか、シリーズものの本をまとめて読破するだとか。私ですか。私は西木野のスクフェスジャージとロードエルメロイⅡ世の新刊を必ず持って行っています。どうせ合法的にだらだらできるのだから積んである本を消化するなりリセマラに励むなり、思い思いの羽の伸ばし方をするべきだ。入院に楽しみを用意しておくのも心が折れない一つの方法かもしれない。

 

 

 

 

 さて、前述の通り、入院まで要する治療に関してはこれで最後なのだと思う。矯正歯科と口腔外科の2か所にダブルスクール的に通院していたがそれも間もなく終わるはずだ。通っている矯正歯科とよく連携の取れている病院に診てもらうことにしたため、自宅からの距離はあったが比較的負担は少なかった。

 

 入院や手術が済んだというだけで実際にはまだまだ痛い治療がたくさん待っているので油断ならないが、ひとまずは区切りがついたと思う。早く健全な歯で満面の笑みを披露してやりたいね。

 

 

2/24-2/25

 翌日、外来に呼ばれました。入院患者の最大の特権として、外来の待合で待つことがほぼないということが挙げられます。長椅子に座っている患者たちを尻目にジャージとサンダルですたすた歩き去り、ノンストップで診察室に通される瞬間が最高に気持ちいいですね。しかも診察後はすぐに自分のベッドに戻って二度寝することができます。ふと見ると入院着で点滴を引きずり、頭部全体にサポーターを巻いて身体の各所からチューブを伸ばした少女が歯科外来の待合に座っていました。口は完全に開かないらしく、受付の人とはスマホで意思疎通しているようです。そう、半年前の私と全く同じ状態のように見受けられます。恐らくですが、彼女も顎を切るなどしたのでしょう。言うなれば顎の後輩です。頑張って…チューブさえ取れればあとは合法的にだらだらできる療養生活が待っているから…と、先輩として心の中から応援していました。こうして想いは引き継がれていくのです。もしかしたら私の時も誰か応援していてくれたのかもしれません。

 

 診察によれば傷の状態は普通らしく、予定通り明日で退院ということになりました。やはり顔が腫れてきてシルエットが完全に四角くなってしまいましたが、これも数週間で元に戻るそうなので我慢するしかないでしょう。恐らく、これでもう口腔外科でメスを入れられることはないと思います。常人の口内環境を手に入れる道のりも、だんだんと終わりが近づいているようでした。

 

 外来が終われば、ほぼその日のイベントは終了です。せっかくなので院内に新しくできた食堂を見に行くことにしました。食堂や売店のある建物に行くには、一度本館から出る必要があるようです。実際に行ってみると、そこには小さめのフードコートとコンビニがありました。せっかくなのでコンビニでおやつを買っていくことにします。なにせ粥しか食べていないもんで腹が減って仕方がない。個室なので間食しても迷惑が掛からない点が嬉しいですね。さっそく部屋に戻って食べながら、ゆっくり本を読むことにしました。

 

 その後は、待望のシャワーです。旧棟では一日おきに男性の使用日・女性の使用日と別れていたので最高でも2日に1回しか入れませんでしたが、設備も改善されたらしく、一応は毎日入れるようになっていました。ですが当然、完全予約制かつ一人30分までという囚人的なタイムスケジュールは変わっていません。昨日のオペの汗も纏めて高速で洗い流すしかなさそうです。修羅か…?

 

 のんびりしているうちに、最後の夜になりました。窓の外の夜景を眺めてみます。もうこの病棟に来ることはないでしょう。セキュリティも強化されているので二度と入ることはないと思いますし、病院のお世話になんてならない方がいいに決まっています。つまりは、見納めということです。知らない街の夜は好きです。ガラス一枚隔てた外には自分の居場所がない、みたいなスリルがあるような気がするので。数回にわたる入院で少しだけ見慣れてきた景色も、これで最後です。

 

2/25

 

 夜が明けました。今日は10時には退院です。今回は短かったのでシャバに適応するまでそう時間は掛からないでしょう。退院日の朝は意外と忙しく、朝食を終えたら早めに会計を済ませ、処方箋を受け取り、手っ取り早く荷物をまとめて部屋を出ます。思い出深いですが願わくはもう二度と来ることがありませんように…そう思いながら病室を後にしました。ナースステーションやデイルームを横目に病棟の自動ドアを抜け、エレベーターに乗り込みます。後ろで閉まるドアの音を聞きながら、社会復帰するべく、私は一歩外へ踏み出したのでした。

 

 

2/23(後)

 4時になりました。通常なら自ら歩いて手術に向かうところですが、今回は鎮静剤を飲んでいるということなので車椅子で連行されました。一般人は入れない通用口などを経由しつつ連れて行かれた先は…手術室。ゑ!?歯科外来でやるんじゃないの!?などと勝手に思っていましたが、本物の手術室です。うまく事態を飲み込めていないながらも、ガーゼ帽子を被せられるなどして一気に現実味が増してきます。緑色の壁や床*1に癒しの効果など微塵もなく、これから始まる凄惨な所業がありありと目に浮かぶようです。この期に及んで駄々をこねるわけにもいかず、嫌々自ら手術台に寝ころぶしかありません。天井からはヒマワリのように爛々と輝く照明が私を照らします。本当にここでやるのか、などと他人事のように思案していました。

 

 ぼんやりしている間にもすごい手際で、心電図をはじめとしたいろんな装置が身体に装着されていきました。その後、顔面を消毒されます。よくわからない液体を大量に塗りたくられました。きっとオペに細菌は大敵なのでしょう。そして覚悟を決める暇もなく、主治医により手術開始が宣告されました。いつだってそうです。覚悟を決めようが決めまいが、時間は刻々と流れるし手術は粛々と始まるのです。ただ、今回に限っては意識がある状態でそれを聞くのがつらい。さて、第一の関門は麻酔の注射です。体感ですが虫歯治療に使われるものよりも針が太い気がします。眠れたらどんなに楽か…と思いつつ耐えます。そしてメスが入ります。まだ麻酔が回り切っていなかったようで、その初撃が尋常じゃなく痛かったです。麻酔の追加もあったのでその後は特に痛みは感じなかったですが、起きている状態で骨をいじられるのが非常に怖いです。口腔内の、しかも耳元でベリベリ鳴るものですからその恐怖たるや…といった感じでした。顔全体に布を被せられているため、今現在何をしているか全く定かでないですが耐えるしかないです。かといって目の前でメスやらを口腔内に突っ込まれるのを直視するのも到底嫌なので、ある種良心的な措置とも言えるかもしれません。時間が長く感じますが、今までいろんな手術を乗り越えてきたじゃないか!と、強く自分を鼓舞します。そのうち終盤に差し掛かってきたようで、耳元で先生が縫合の仕方を実践しながら手下に教えていました。終わった後の悠々自適な入院生活を夢想しつつ、あと少し時間が過ぎるのを待ちます。

 

 長く感じた手術も、無事に終わりました。1時間くらいだったでしょうか。気付くと緊張と不快感で全身に汗をかいていました。よく耐えました。達成感がすごいです。余韻に浸って放心状態の私から、各種装置が取り外されていきます。そして今回除去したプレートを記念に手渡されました。頑張った証として、折に触れて眺めていたいですね。その後は例によって車椅子で個室まで連行されました。すっかり汗だくですが今日は当然シャワーになど入れません。我慢して寝るしかなさそうですが、同室のおっさんのイビキなどに悩まされなくて済む分、恵まれていると考えた方がよさそうです。この後、今回も点滴を刺されました。これに関してはもう慣れっこで、入院の風物詩的なものでしょう。いずれにせよ、正念場は終えたようです。

 

 術後数時間すると麻酔が覚めてきて、痛みが増してきました。心なしか、早くも両頬が腫れてきたような気がします。何となく本を読む気分にもなれずベッドでぼんやりしているうちに、夕食が運ばれてきました。当然、五分粥です。無理して食べなくていいと言われていましたが手術を終えた達成感でハイになっていたこともあり、ぺろりと平らげてしまいました。その夜は処方された痛み止めを飲み、点滴を終えてささっと寝ることにしました。早朝に出かけて手術を堪えぬいた、とても長い一日だったように思います。

 

 

*1:血や内臓などの赤色を長時間見た後でも視界に残像が残らないように、赤色の補色である緑色を使用しているらしい。手術着が白ではなく青なのも同じ理由だとか。

2/23(前)

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、まだまだ先だろうなんて思っていても必ずその時は訪れるものであり、過去の自分によって先送りされた矢が時を超えて自身にぶっ刺さるみたいなことはよくあることだと思います。例えば半年後だとか一年後だとか、急に言われても到底先のことに実感はわかないものですが、時間が止まらない以上、必ずその時はやってくるわけです。時として時が止まらないのは時に救いであったり、時々残酷であったりする時があるのです。

 

 前回の手術*1から半年経過し、術後の状態も落ち着いてきたということで顎の骨を固定しているプレートを取り外すことになりました。今度の手術は部分麻酔下で行われ、入院も3日程度です。ですから前回よりは気負わずに済みます、とでも言うと思ったか。手術に大も小もないです。麻酔をするほどの処置なんて総じて嫌に決まっているでしょう。半年くらい経ったらプレート除去の手術を行います、というのは退院時にすでに説明されていました。でも全然先でしょ~?とか思ってたんですけどいざその時が来ると、本当に時間って止まらないんだなぁなどと今更ながら実感するものです。おもちゃで遊んだら片付けるように、本を読んだら棚に戻すように、物事には然るべき後片付けというものがついて回るものであり、今回もその例外ではないというわけです。

 

 *

 

 朝7時、小さめのキャリーバックを引きずりながら私は新町駅の改札をくぐっていました。冬の関東にしては雲の厚い、どんよりとした朝でした。昨日まで降っていた雨で濡れた地面に、キャリーの跡が尾を引きます。さて、今回のスケジュールはこうです。まず午前10時に入院。昼過ぎになったら鎮静剤を飲んで待機。4時くらいにオペが開始されるそうです。入院からの即日オペは今まで経験がないので必然、足取りは重くなります。しかも部分麻酔ときたもんだ。寝てりゃいいってわけじゃないのがとてもつらい。一体手術中はどのような心持でいればいいのでしょう?ヘルシェイク矢野*2のことを考えて気を紛らわせろとでも…?

 

 立川病院は先日、全面的に新棟に移転しました。引っ越しにぶちあたったのは記憶に新しいですが、新棟で入院手続きをするのは初めてです。まず入院窓口がどこにあるかわからない。案内図をチラ見しつつ意外と入口のすぐそばにあったそこは、以前と違って小奇麗な窓口になっていました。入院窓口では同意書や限度額認定証、診察券などと引き換えに、病棟へ入るためのICカードが手渡されるので、そそくさと受け取って病棟に向かいます。旧棟と違ってそのあたりのセキュリティは強化されているのを実感します。まだ真新しいエレベーターで目的の階まで移動した後、病棟入口の自動ドアの横にかざすと恭しく開きました。さて、ここに来るのは半年ぶりですが懐かしい気持ちになります。前回の入院は非常に大変でしたが、思い出補正がかかっているのでとても感慨深いですね。ただ、この後すぐオペが控えているのであまり感傷に浸る気分にもなれません。その後はナースステーションに挨拶して病室に案内してもらいます。そして今回通されたのは個室でした。これには驚きです。個室入院なんて高校以来のことです。しかも希望なしで通された個室なので差額は発生しないそうです。最高か。こんな幸運に恵まれた以上、頑張るしかないでしょう。

 

 さっそく自分の空間に適当に荷物を広げてジャージに着替えます。入院着を借りて荷物を減らすこともできますが、あんな着るだけで不健康になる悪魔的な衣装は着るべきではいでしょう。そうこうしているうちに昼食が出てきました。病院では基本的に据え膳上げ膳なので多少リッチな気分になります。今回も例によって、常食を食べられるのはこれが最後です。そう、ここから退院するまで粥生活の始まりなのです。

 

 午後3時になりました。簡単な説明の後、用意された鎮静剤を飲みます。意識がぼんやりして不安が緩和される効果があるそうですが、心臓がバクバク早鐘を打っています。効いている様子がないんだが…?よほど緊張していると見える。この身体の重さはあくまで鎮静剤の効果ではなく緊張のせいだと思います。ここまできたらもうどんな抵抗も意味を成さないので一心に瞑想するしかありません。耳に突っ込んだイヤホンからは、例によって草野マサムネの歌声が流れていました。

 

 

*1:とてもおもしろい体験記

miki-5.hatenablog.com

*2:マグマミキサー村田でも可。

その後

 

口腔内の写真があります。苦手な人は注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初め、こうだった歯並びは、

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先日の手術でこんな感じになりました。

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 手術の影響で、まだ口が全開には開きません。まだ柔らかいものしか食べられないので早くハンバーガーを大口開けて食べられるようになりたいところです。

 

 もう一つの後遺症の口周りの痺れですが、まだ続いています。親知らずの抜歯の時にも同じような説明をされて、全然平気だったので今回も大丈夫じゃろ~とか思っていましたが規模が全然違うのでそうもいかなかったようです。早く本調子まで戻してもとの生活に戻したいですね。

 

下顎を下げたわけですが、美容整形とかではないので横顔の感じはそんなには変わっていないです。ですが上下の歯ががっちり噛み合っているのは素晴らしい感覚ですね。全部の歯でモノを噛んでいる、って実感します。

 

 

 シリーズものっぽく続けてきた投稿ですが、ひとまずこれで終了となります。私の備忘録なのですが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

おわりに

「今回の手術大変だけど、メンタル強い?」

 梅雨時にしては良く晴れた6月中旬のこと、あっけらかんとした様子で語ったのは私の主治医であった。無論、確実に終わったと思った。当然である。大型犬だって怖いのにどうやって手術を乗り越えろというのだろう。経験あるから大丈夫でしょう、というのは理由にならない。何度やったって怖いものは怖いし嫌なものは嫌である。そもそも、今回の手術は噛み合わせの改善を目的としている。ということは最悪やらなくても死ぬような病気ではない。だからやっぱりやめます、というのができない。できない。なぜか。それは外科矯正に深く関係している。前書きでも述べたが私は保険診療で歯科矯正を行っている。それはひとえに外科手術が必要となる治療だからである。そのため外科手術を取り下げた場合、治療開始時からの治療費用を保険組合に返金することになる。つまりそれまでの治療費を自費の設定で支払うことになる。10万や20万ではきかない、100万円単位の請求が一気にのしかかるのだ。そう、初めて矯正歯科で保険証を提示した日からもう私の行く末は決まっていた。メンタルが強かろうが弱かろうが、泣こうが喚こうが、好むと好まざるとに関わらず私に手術から逃れるすべは一切ない。

 

 そんな脅し文句もあって死ぬほど辛いのだろうと予想して臨んだ手術であったが、結果的には死ぬほどではなかった。今回の内容としては顎の両側を骨折させたわけだが、痛みならどうとでもなる。痛ければ座薬を入れてもらえばいいからだ。実際、痛みを我慢する必要はないと言われていたので術後さっそく看護師さんに座薬を入れてもらう運びとなった。字面だけ見ると素敵な印象を持つかもしれないがそこまでときめくものでは決してない。痛みの問題よりも厄介なのは息苦しさの方である。顎が完全に固定されているうえにチューブがそこら中からびろびろ飛び出ているのだから、当然気持ち悪さがそれなりにある。しかしチューブは日を追うごとに取れていくのでそこをモチベに無心で耐えるのがいいだろう。管さえ無くなってしまえばあとはのんびりと療養できるのだから。

 

 

 さて、今回の入院は病棟の引っ越しとぶつかる形になった。以前からぼろい病棟だなとは思っていたものの、まさか全面建て替えをするとは思っていなかったしそれが私の入院中に敢行されるあたり、運がいいのか悪いのかわからない。引っ越しの様子はある種異様だった。歩ける患者は周りをスタッフに囲まれながら連行され、歩けない患者は車椅子で運ばれていた。人によってはストレッチャーも使用していたかもしれない。無論、患者の荷物は全てスタッフが運ぶ形であった。患者の移送は引っ越し日の午前中には済んだらしく、たったの数時間で患者の消えた旧病棟はメアリーセレスト号すら連想させる。そのような経緯もあって、旧病棟の最後を見届け、新病棟の床を最初に踏みしめたという点でも今回の入院は思い出深い。引っ越しに関してはもちろん楽しい思い出ばかりではなく、体制が整っていない中での不便を強いられたこともそれなりに多かったがそこは思い出補正で耐えたい。

 

 

 いい歯のコンクール、というものが私の通っていた小学校では毎年開催されていた。正確な審査内容はとうに忘れてしまったが、要は良い歯を持っているか、歯科検診の実施と併せて競うものであった気がする。私はそれが大嫌いであったことは言うまでもない。虫歯は完全に本人(と親の指導)が原因であるとはいえ、歯並びに関しては遺伝子に拠るところも大きい。つまり私はいい歯のコンクールを、もって産まれた遺伝子の優秀さを競う大会として認識していた。とはいえ遺伝子の良し悪しがカーストを決めることもある種事実なのでこのコンクールにも社会の縮図としての真理はあったのかもしれない。というかこの期に及んでまだそんなことを覚えているのだから自分の執念深さに引く。

 

 よしんば歯並びが死因にならないとしても、口を開けて話す以上、他人からの印象を気にしてしまうものである。歯科矯正に関して、やろうか迷っている人は多くいるかと思うが、正直あまりお勧めはできない気がする。手間とお金と時間がかかるうえにそれなりに痛い。しかも歯科矯正をするには抜歯をすることが多い。老後まで健康な歯を…というのが究極の目標であるにも関わらず、手持ちの歯が4本減るというビハインドを背負わされるのだ。なので、迷うくらいならやらない方がいいのかもしれない。

 

 

 常人の歯並びを手に入れることを最大限綱領として長く続けてきた治療も、ようやくゴールが見えてきた。実は、全部が上手くいっていて私が甲斐性なしでなければ、大学1年の頃にはすべての治療が終わっていたことになる。最初に通院した矯正歯科の方針が経過観察であったり転院した先の矯正歯科の院長がいつも不機嫌な爺さんだったので即転院したりなど、なかなかスムーズには進まなかった。それでも私が爺さんの態度を我慢したり、もしくはもっと真剣に歯科を探していればこんな年齢になってまで歯科矯正をし続けることにはならなかったのだが、そこは巡り合わせ的な部分もあるので後悔しても仕方がない。完璧な歯並びを目指して、私の通院はもう少し続いていく。いや、でも矯正が終わってしまったら東京に遊びに行く口実がなくなってしまうのは案外寂しいのかもしれない。

 

7/19

 今日で退院です。2週間でしたが案外早かったような気もします。思えばいろいろなことがありました。手術におびえ、チューブに苦しみ、流動食に喜び、同室の患者に殺意を抱き、引っ越しを経て退院へとたどり着きました。食事はいまだに全粥なので、退院後も柔らかいものを食べつつ、少しずつ歯ごたえのあるものに挑戦していく形になります。開口練習も必要であると言われました。測ったところ、開口は2cmでした。これを4.5cmくらいまでは開けたいとのことなのでなかなか長い道のりになりそうです。これからも額固定のゴムはつけていた方がいいとのことなのでしばらくは口を閉じて生活することになるでしょう。

 

荷物をまとめて病棟を出ます。病棟のドアは、出るときにはそのまま出られますが、入るときにはICカードが必要になるタイプのものです。ICカードは既に回収されたので、つまりここを出たらもう戻れないということです。べつに戻りたいなんて思わないですが、少し寂しいような気もします。ふと振り返るとちょうどドアが閉まるところでした。本当にお別れです。

 

 外に出ると、夏の湿った空気が私を包みました。久しぶりの感覚です。これがシャバの空気か。容赦ない日差しがアスファルトを焼いています。私はこの季節のなかで生きていけるでしょうか。ふと見上げると先ほどまで私のいた病室が見えました。もう二度と入ることはないでしょう。とはいえ外来にはまだまだこれからも通う予定です。歯科矯正に至っては年単位で続きます。数週間後にはまた戻ってくることになりますが、ひとまずはさようならです。まだまだ本調子ではないですが、キャリーケースを引いて歩き出しました。